日常

「からい」を認知言語学的に考えてみる

こんにちは。

金曜日の夜、会社帰りに買い物に行く途中で、

音声入力した内容をメインにブログを書いています。

マイク付きのイヤホンを忘れてしまったので、

歩きながらスマホ本体のマイクに向かってつぶやいている

ちょっとアレな人になっています。

 

認知言語学的アプローチに挑戦

今日は、今話題の認知言語学に関するお話をしたいと思っています。

関連のビデオセミナーは、

これだけは見といてくださいと言われていた(8)、

それから(9)の途中まで聞きました。

 

(8)は消しゴムとは何か、ハサミとは何かという内容のところです。

確かに特許明細書を読み解く上でも、

それからもっと広い視点で「物事の捉え方」としてみても、

とても大事なことが述べられていました。

 

技術的な内容で何か同じように話ができればいいんですけども、

今日のところは私の「たぶん人より多く経験して知っていること」から

お話しします。

 

それは、中華料理です。

私は以前、中国に何年間か住んでいました。

ちょっと高級なものから家庭料理から屋台の料理からゲテモノ料理まで、

いろいろ食べてきました。

なので、中華料理については語り出すと止まらなくなります。

何をテーマに話そうかな、とちょっと悩んだくらいです。

 

体験した「辛さ」を全力で伝えてみる

例えば、「本場の中華料理」というとどんな料理を思い浮かべますか。

これは人それぞれだと思いますけど、

麻婆豆腐とか、火鍋とか、

辛いものを思い浮かべる人も多いのではないかと思います。

 

私は辛い料理の多い四川省に旅行したことがあります。

そこで食べた料理の辛さは、辛いを通り越して痛かったです。

唇も、口の中も、喉も、胃も。全て燃えます。

そして翌日も燃え続けます。

 

次の写真は私が実際に旅行中に食べた料理です。

私は普段旅行に行った時に食べ物の写真って滅多に撮らないんですけども、

これは本当に本当に本当に辛かったので記念に撮りました。

 

「水煮肉片」という料理です。

真っ赤な唐辛子とその他香辛料の海に肉やら何やらが沈んでいて、

油の海から肉のかけらをサルベージして食べるようなイメージです。

肉のかけら3つくらいで、茶碗一杯分のご飯が食べられる、

そのくらいの辛さです。

 

全力でこの料理の辛さをアピールしましたが、

たぶん、私の経験したレベルの「辛すぎて痛い」はなかなか伝わらないと思います。

それはまさしく、「経験しているかどうか」の違いですよね。

 

「辛い」と「辣」の違い

今日お話ししたいことのもう一つは、

日本語と中国語のこの「からい」っていう言葉の範囲は

だいぶ違うなっていうことです。

 

中国語で辛いは、「辣」と言います。

(山椒のしびれる辛さは、「麻」と呼んで区別します。麻婆豆腐の「麻」ですね)

 

「この料理は辛すぎる」のように、日本語の「辛い」と同じように使います。

それから、「手が辛い(手很辣)」と言ったりします。

この言い方は恐らく日本語にはないんじゃないかと思います。

 

「手が辛い」というのは、唐辛子を大量に切った後

手がずっとヒリヒリして痛いことを指します。

日本語では通常、「手が痛い」と表現しますよね。

 

辛みは痛みだ、なんて言ったりもしますし、

「辛い」と「痛い」は隣り合わせの領域にある言葉で、

(「痛い」の一部が「辛い」と言った方がいいのかもしれませんが)

日本語と中国語ではそれぞれの領域の区分けが違うのだろうなと思います。

 

例えば、

日本語では「塩辛さ」も「辛い」の一部ですが

中国語で塩辛さを「辣」で表現することはありません。

「辣」は味云々というよりも「刺激がある」ということ、

つまり、「辛い」よりも「痛み」寄りな言葉だと思います。

 

例えば、「辣嗓子(喉が辛い)」という表現があります。

これは香辛料の効いた料理を食べた時もそうですが、

甘い蜂蜜やマンゴーなどの果物で喉がイガイガするとき、

それからほこりなどを吸い込んでしまって喉に違和感がある時にも使います。

ここからも、「辣」=「刺激がある」ということがわかりますね。

 

ちょっと、とりとめがなくなってしまいました。

たぶん、認知言語学でも何でもないですね、これは・・・

 

結局のところ、言語というのは経験に結びついていて、

経験の共有が文化になって、

それが言葉の使い方に反映されていくのだな、ということを

中華料理から確認した感じになりました。

 

それでは、英語の頭に戻ってトライアルに集中します!