今週から講座の対訳シリーズ「手術シミュレーション用軟質血管モデル」での学習を進めています。
対訳シリーズ唯一のメディカル系のように思えますが、メディカル要素は少なめで機械+化学といい感じでハイブリッドされていて、とっつきやすい素材だと思います。
今日は対訳シリーズの明細書と、そこから展開して読んだ「手術シミュレーション用生体モデル」の明細書についてまとめます。
血管モデルって?3Dプリンタでどうやって作る?生体モデルに求められる要素とは?
このあたりのことがざっくりとわかります。
Contents
「手術シミュレーション用軟質血管モデル」とは
素材となっている明細書はこちらです。
【公開番号】特開2009-273508
【発明の名称】手術シミュレーション用軟質血管モデルの製造方法
【出願人】株式会社大野興業
<対訳>
Method of producing flexible vessel model for simulating surgical operation(US8359118B2)
上記の通り、日本語が原文の明細書になります。
内容は「手術シミュレーション用軟質血管モデル」の製造方法で、「発明の名称」そのままなんですが、もう少しかみ砕くと、
「動静脈(特に脳動脈瘤)の血管治療の前に行う手術シミュレーションで使用する脳動脈つき血管モデルを、3Dプリンタで製造する方法」になります。
1-1.「軟質血管モデル」の用途
製造されたものは、このようなモデルになります。
現在のメーカーのサイトにはちょうどいい写真がなかったため、ビデオ内のキャプチャになります。柔らかくて複雑な形状をしていますね。

少し材質は違うと思いますが、もう少しわかりやすいのが下記です。

(https://www.jichi.ac.jp/brain/reserch/3d.html)
この明細書の添付図面になります。
複雑な走行をしている血管の一部(下記では黄色部分)が膨らんでおり、それが動静脈瘤です。

動静脈瘤は、血管の一部が風船のように膨らんでしまっている部分のことを指します。
膨れ上がった部分の血管壁はずっと膨らませておいた風船のように、薄くもろくなり破裂しやすい状態となっています(実際に破裂することはまれですが)。
通常動静脈瘤というと、脳の太い血管にできる脳動脈瘤のことを指すことが多く、この明細書でも実施例としてあげられているのは脳動脈瘤です。
万が一これが破裂すると、出血(くも膜下出血)となり非常に危険です。
そのため、破裂しないように何らかの対策を打たなくてはなりません。
大きく分けて、(1)クリッピング術 と (2)コイル塞栓術の2種類の処置方法があります。
(1)クリッピング術
動脈瘤の根元をクリップで挟み込み、動脈瘤に血液が入り込まないようにする方法(開頭手術が必要)

(出典:http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/brain/pamph132.html)
(2)コイル塞栓術
マイクロカテーテルを経由して複数の細いコイルを瘤内に留置、血液を凝固させて破裂を防ぐ

(2)は足の血管からカテーテルを挿入すればよいので(1)の開頭手術と比較すれば患者への負担は軽いのですが、脳動脈瘤の状態によっては適用できない場合もあります。
これらの手術は素早く、正確に行う必要があります。
また、処置によって正常な血流が阻害されると、血栓が発生しやすくなるなどのリスクが生じます。
そのため、処置をして問題が発生しないかを血管モデルをクリップで留めたりコイルを留置したりして確かめます。
従来技術では、人骨モデルを使用していたために硬く、中空構造でもないため、手術による処置が術後の血管形状にどのように影響を与えるのかをシミュレーションすることが不可能でした。
術後の状態がシミュレーションできるよう、動静脈瘤付き血管を柔軟性があり中空構造である軟質素材で再現したところに、本発明の新規性があると言えます。
1-2.「軟質血管モデル」の製造方法
この血管モデルは、インクジェット方式の3Dプリンタで製造します。
下記の動画の冒頭のアニメーションがわかりやすいです。
材料となるインクを吹き付けて、紫外線などのライトの光で硬化させて次の段を形成し、立体的な積層構造にします。
ただ、血管モデルは先ほど見たように曲がりくねった形状です。
なので、血管モデル単体でプリントするのではなく、サポート材と呼ばれる支えになるものも一緒にプリントします。
サポート材と呼ばれるものは、一般に下記のようなものです。
3Dプリンタのすべてがわかるサイト、あゆみさんのブログから画像をお借りしました。
(該当の記事はこちら)

これは今回のインクジェット3Dと異なる形式の3Dプリンタで、上部に製品が出来上がっています。
丸い製品を支えている脚がサポート材と呼ばれるものです。
今回の特許については、上記のように複数の脚で血管モデルを支えるのとは異なります。
「血管壁部分」と「サポート材部分+血管壁の中空部分」とを異なるインクを用い造形して、「サポート材部分+血管壁の中空部分」をあとで除去することで、中空形状の血管モデルを得ています。
具体的にどのように作っているのかについては図面がなく、明細書には次のような記述があります。
(前略)三次元データに対応する外面形状のサポート物質マトリックスの内部に軟性ポリマー製の立体的血管形状を有する軟質血管モデルが浮遊している塊状マトリックスを得て、該塊状マトリックスから、血管モデルの外側に付着しているサポート物質を除去して塊状マトリックス内部に埋没していた軟質血管モデルを取り出して、次に、取り出された軟質血管モデルの内部に存在するサポート物質を、血管モデルの開口部から取り出す(略) (請求項1より抜粋)
私の頭の中では、完全に「茶碗蒸しからエビを取り出す」工程でイメージされています(エビでなくてもいいんですけどね)。
つまり、側面から見た図はこんな感じになっていて(ピンクが血管モデル、青が除去されるサポート材。1層ごと積層していきます。形状は簡略化しています)、

①を90度回転させた側面から見たらこうなっていて、

造形完了後、サポート材は「粉砕容易」で「指で剥ぎ取る」水溶性インクでできているので手で剥ぎ取って、さらに管の中につまったサポート材を取り出して、水で洗い流して完全に除去すると、血管モデルのできあがり。

・・・と理解しました。
対訳シリーズのビデオは序盤なので、万が一思い違いをしていたら訂正します。
その他の手術シミュレーション用モデル
ここまでで、対訳シリーズの特許(特開2009-273508)について簡単に解説しました。
この特許は、動静脈瘤(特に脳動脈瘤)の処置に関するシミュレーション用モデルだったので、他の用途のモデルでは何が求められているのだろうかといくつか明細書を読んでいました。
色を付ける、切った時に液体が出てくる、硬さや質感が実際の血管に近い・・・など、やはり「どれだけ実際の手術に近づけるか」を目指したものが多いと感じました。
その中で、「電気メスを用いたシミュレーション用」に工夫を凝らした明細書を2件読み、「目指していることはほぼ同じで発想もほぼ同じだが、実現方法は異なる」のがとても面白いと感じたので少し紹介します。
2-1. 電気メスとは?
電気メスは、高周波電流を流して、その際に発生する抵抗による熱(ジュール熱)を用いて切開する医療機器です。

(http://www.jfmda.gr.jp/devicekikaku/topix/06/page_02.html)
切開の対象物の体積抵抗率(単位体積あたりの電気抵抗値)がヒトの臓器に近ければ似たような「切る」感覚を得られます。
この「電気の通りやすさ」を調整するために、次の2件の明細書は、3Dプリンタで造形する際にひと工夫しています。
2-2. 明細書その1:油中水型のインクを用いる
「油中水型(W/O型)」でピンと来た方もいるかもしれません。
ファンデーションなどでおなじみの、「油分の中に水分が入っている」状態ですね。
この状態のインクを用いて、まさに「お肌に水分を閉じ込める」状態にします。
手書きで申し訳ないですが、原理を説明します。

油中水型の放射線硬化型インクを用いてインクジェット方式で積層します。
紫外線などの光によって反応が起き、外側の疎水性部分は硬化し、内側の親水性部分はゲル化します。
それによって、内部に水分を含有した生体モデルが得られます。
(特開2019-143034:放射線硬化型インク、インクセット及び三次元造形物)
2-3. 明細書その2:2種類のインクを用いる
もう1つは、先ほどの脳動脈瘤の血管モデルのように、2種類の異なるインクを用いる方法です。
最終的に得たいものは、上記の明細書と同様に「中に水分(正確には生理食塩水)を含有したモデル」です。
①親水性インクと疎水性、2種類のインクを用います。噴射して、1層ずつ硬化させます。

②疎水性の材質の中に、親水性の材質の「島」ができる構造です。サポート材は、親水性インクと同じ材質で造形します。
③造形完了後、生理食塩水に含浸または生理食塩水を吹き付けて、サポート材を除去します。
④サポート材と同じインクである親水性部分(青い部分)は生理食塩水が浸透し、「内部に生理食塩水の領域を含むモデル」が完成します。

(特開2019-072873:三次元造形物及び三次元造形物の製造方法)
2-4. 2つの明細書の比較
明細書その1とその2は、どちらも内部に水分を含むことで電気メスを用いた手術シミュレーションに適したモデルの提供を意図しています。
ただし、アプローチには違いがあります。
その(1)はインクは1種類、中には水分
その(2)は2種類のインク、中には生理食塩水 という違いですね。
(2)の生理食塩水の方が、導電性という観点では優れているのではと感じました。
ただ(1)は、電気メスに最適化する以外に、水分を長期間保持して使用期間が長いモデルを作製することも目的としています。
(1)はインクの組成を変えることで、(2)は疎水性と親水性部分の造形パターンを変えることで、水分量を調節することができると思われます。
(2)の造形パターンを変更する方が、目的とする臓器の柔らかさなどに応じて調整をしやすいのかな、などとも思いました。
いずれにしても、私の中では今回の明細書は「霜降り肉」のイメージです。脂ではなく、水分ですけどね。
まとめ
3Dプリンタと臓器モデル、はじめはあまりつながらなかったこの2つの概念が、明細書の具体例を通じて鮮明になってきました。
3Dプリンタはもちろん幅広い用途がありますし、臓器モデルもバイオプリンティングをはじめ、興味のあるテーマがたくさんあります。
この分野、メディカル×機械×材料の複合案件のよい例だと思います。
また面白い特許を見つけたらご紹介します。