1週間のまとめ

2020年36週目のログ:30年後

36週目の記録

  • 実ジョブ(英日特許翻訳)

 

今週もひたすら仕事モードです・・・といいたいところですが、実はそうでもなく。

少しだけ、実家に帰省していました。

父親(60代後半)の状態があまりにも悪くなってしまったのでその状況の確認と、今後どうするかの家族会議のためです。

 

今回は、全く翻訳とは関係ない個人的なことですが、少し自分自身の気持ちの整理も兼ねて、何があったのか、どう思ったのか書いておきます。

 

状況

帰ろう、と思ったきっかけは、1週間ほど前に母親から連絡を受けたことでした。

母親が電話をしてきたのですが、いつもと違う堅い感じで、すぐに「お父さんが話がしたいって」と父に電話を渡しました。

この時点で身構えました。父親が私に電話をしてくることなど、ほぼ記憶にないからです(私と父親の仲はあまり良くありません)。

電話越しで会話をしたらさらにぶっとびました。ろれつが回っておらず何を言っているのか3割程度しか聞き取れず、内容も支離滅裂です。

要は、「俺はもうすぐ死ぬだろうから挨拶をしておく」ということだったようです。

その後、母親に状況を聞いたところ、最近は食事もろくに摂らず、風呂にも入らず、昼間から酒を飲み、自立歩行が困難になったこともあったことがわかりました。

 

これはだいぶまずいな、と思い、急遽帰ることにしました。

今週実際に会ってみると、電話の時からはだいぶ状況は回復しており、受け答えもできていたのでひとまずはほっとしました。

電話で話した後は、セルフネグレクト(通常の生活が維持できない自己放任状態)が進んでいることを強く疑っていました。

ただ、帰省してから、いろんな検査に同行していた弟(別居していますが、実家の近くに住んでいます)に様子を聞くと、どうもアルコールの過剰摂取が根本的な原因であるようです。

まだ結果待ちの検査があるので他の要因もあるかもしれませんし、医師からの確定診断は出ていません。ですが、血液検査の結果や症状から、おそらく「アルコール依存症」と診断されるレベルだろうと思われます。

 

これは少し意外でした。というのも、父は昔からほぼ毎日晩酌していましたが、職業ドライバーであったこともあり、節度を守って飲酒していたからです。

飲み方が変わった(さらにそれ以外にも日常生活全体がすさんできた)のはこの1年ほどの間に起こったことです。

 

そもそものきっかけは、昨年の今頃、心臓の病気が発覚したことでした。

発作性上室頻拍という、興奮が通常と別のルートでも伝わってしまい頻拍になる病気です。

これはカテーテルアブレーションという、異常なルートを焼き切る手術で根治できる(少なくとも父親の場合は)もので、予後は悪くない病気です。

実際に手術も成功しその後も特に問題はないのですが、病気判明後から「俺はもうすぐ死ぬのだ」と弱気になってしまい、タバコ(こちらも大問題ですが)と酒の量が増えました。

 

さらに、少し前に散歩中に意識を失い気がついたら倒れていた、という事件が起こりました。

これは、状況を聞くと「よく生きてたね」と思うレベルで、この後、これまで退職後もアルバイトとして週数日続けてきた仕事を辞めました。

この事件のショック、そして長年続けてきた仕事を辞めたことから来る喪失感と飲酒を抑止するものがなくなってしまったことで、状況が急激に悪化してしまったようです(私の母親は「やさしい」ので強制的に酒を取り上げるようなことはしません)。

 

父親は、私が小学生の頃はたまに釣りなどにも行っていましたが、それ以降は休みといえばパチンコで、他に趣味といえるようなものはありませんでした。

今は何もない1日が長くて苦痛のようで、「病院の予約がある日のほうが気が紛れていい」、「できれば運転手の仕事をしたい」といっています。

 

今後は、まずは検査結果が出そろって医師がどう判断するのかによるので、まずはその情報を共有してもらうことにしました。

そして、本人はアルコールの問題であることはうすうす気づいていたようですが、「できるだけ少なくするよう頑張る。酒を完全にやめるのは無理」という認識でした。

なので、このレベルであればおそらく禁酒が必要になるであろうこと、病気なので意思の力でなんとかするのは難しく、きちんと入院・通院で治療しなければならないことを(頭では)理解してもらいました。

 

思うこと

自由な時間があっても、生きがいがなく、体も心も不自由な状態は、毎日がただの拷問である。

これを目の前で見せつけられました。

そして、父親の今はこれまでの蓄積(生き方)によるものですが、同時に「ちょっとしたきっかけ」で人生は暗転するのだな、ということを実感しました。

父親も、去年の今頃まではまだ普通に(週3日くらいですが)働いており、昼間から酒を飲むことなどもありませんでした。

病気や退職がきっかけとなって、負のスパイラルに陥ると一気に「落ちる」のです。

 

関東に戻ってきてから、もう一度自分自身の「生きたい人生」について、マインドマップでまとめつつ考えました。

健康維持、資産形成、そして変化に負けないスキルとマインドを形成すること。これらは、自分が「生きたい人生」を生きるために必要なこととしてピックアップしました。

 

父親に対する感情も変わりました。

これまでは、もともと「拒否」の感情があったために父親のやることなすことが何もかも気に入らずに、「距離を取る」ことで最低限の関係を保ってきました。

今は、「ただのかわいそうな病人」という感情しかありません。

おそらく、この変化によってだと思いますが、今は検査の結果や今後の状況によっては「実家に帰る」ことも選択肢のひとつとして考えています。

これは、以前であれば考えもしなかったことでした。

もちろん、この選択は自分のQOLにも深く関わってきますし、親から見ても決してプラスばかりではない面もあると思うので慎重に考えます。

 

「こんなはずじゃなかった」と30年後に思わないように、毎日を限界まで生きたい。

そう思います。